日本の歴史と切腹
切腹は、平安時代末期の武士である源為朝(1139年(保延5年) - 1170年(嘉応2年))が最初に行ったと言われている。
これとは別に藤原保輔(ふじわらのやすすけ)が988年(永延2年)に事件を起こして逮捕された時に自分の腹を切り裂き自殺をはかり翌日になって獄中で死亡したという記録が残っているが、彼の場合は切腹の趣旨である「己の責任を取るために自ら命を絶つ」という意図で切腹したか明確ではなく「切腹ではない」という解釈も可能なので、その意味では最初の切腹を行ったと断定できる人物は源為朝である。
また、一般的に、鎌倉時代に武士の習慣と武士道が広まるに従って定着し、中世から近世を通じて行われたと思われている。
近世以前の事例を見ると、一部の例外を除いて、切腹は敵に捕縛され、斬首されることを避けるための自決に限られている。戦に敗れたから即自決と言うわけではなく、地下に潜り(逃亡し、本当の身分を伏せて生きること)再起を図ろうとする武士も大勢いた。また、壮絶な切腹は畏敬の念を持たれることもあるが、切腹自体は自決のひとつに過ぎず、特に名誉と見られることもなかった。武士の処刑も全て斬首刑で、身分ある武士と言えども敵に捕縛されれば斬首刑か、監禁後の謀殺であった。
しかし、豊臣秀吉が天下を統一するころから徐々に切腹に対する意識が変わったと思われ、豊臣秀次、千利休らは刑罰として切腹を命じられた。それに対し、関ヶ原の戦い、大坂の役での敗軍武将への処刑は全て斬首刑であるが、古田織部、細川興秋など、豊臣方与力と看做された者は切腹させられている。その後も、改易された大名(家取り潰し)が切腹させられた例は殺傷事件を起こした浅野長矩、前田利昌など極めて例外的であることは注目に値する。
切腹が習俗として定着した理由には、新渡戸稲造が『武士道』(Bushido: The Soul of Japan、1900年刊)の中で指摘した、「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされたとの説が、広く唱えられている。
切腹の動機としては、主君に殉ずる「追腹」(おいばら)、職務上の責任や義理を通すための「詰腹」(つめばら)、無念のあまり行う「無念腹」、また、敗軍の将が敵方の捕虜となる恥辱を避けるためや、籠城軍の将が城兵や家族の助命と引き換えに行う事がある。また、合戦における下知なき行動(抜駆け)を行った者に対し、刑罰的な意味を込めて切腹を命じる場合もあった。中でも徳川家康は抜駆け行為に対し、一族郎党全員の切腹という、特に厳しい軍律を設けていた。
室町時代の管領細川頼之に殉死した三島外記入道以来、平時に病死した主君に対して行う殉死の風習が始まった。江戸時代初期には松平忠吉や結城秀康に殉死した家臣の評判が高まり、殉死が流行した。この流行は1663年(寛文3年)5月に殉死が厳禁されるまで続いた。1684年(貞享元年)に成立したとされる明良洪範では殉死を真に主君への忠義から出た「義腹」、殉死する同輩と並ぶために行う「論腹」、子孫の加増や栄達を求めて行う「商腹」(あきないばら)の三つに分類している。しかし、殉死者の家族が栄達したり加増を受けたケースは皆無であり、商腹は歴史的事実ではないとされる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
切腹ってこのように行われていたんですね。
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